キリスト教やイスラム教などは、どんなウソも許されないそうですが、
それだと冗談をはじめとしたコミュニケーションを円滑にすることができませんよね。
しかし、一方で、多くの人が許すことができないウソも存在します。
今回はウソのあり方について考えを述べていきたいと思います。
多くの人が許せないと感じるウソとその見分け方
僕らが怒ったりしてしまうウソは、大きく分けて3つあります。
・詐欺などの自分の利益を目的とするウソ
・自分にとって不都合なことを隠すために、相手との信頼を裏切るウソ
・自己虚栄心などの自己愛に基づくウソ
これらのウソは腹立たしいこととして、話題に上ることが多いですね。
僕は仕事をしていて、特に3番目のタイプが厄介です。
例えば、お母さんが子供のことで、実物より過大評価をしていたりするウソを
つかれると、間違った認識をしてしまいますよね。
心理学的には「虚言癖」と言われるものですが、
ざっと見て、見分けるやり方はいくつかあります。
・自分に対し不利な質問を聞かれると、過剰なまでの自己弁護になる
聞いてないことまで、いろいろなことを話しはじめます。
論点をずらすタイプもいますね。
・ウソの話は細部になると甘さが出てしまう
細かい質問を相手に問いかけてみましょう。
ウソの話に飾りを付けることは難しいものです。
また、細部に関し急に饒舌になれば、なおのこと怪しいと思ったほうが賢明です。
・身体的な特徴が出る人も多い
「目は口ほどに物を言う」とありますが、
視線が泳いだりいつもの仕草と違った様子が見られるのもよくある話ですね。
以上、こういう特徴がありますが、
これらの人と付き合うのは、疲れてしまいますよね。
関わらないのが一番ですが、関わらなければいけない場合、
どうすればいいのでしょうか。
本当のことを知りたいと思える相手かどうか
虚言癖の人から本音を引き出すのは簡単です。
「ウソだったことを認めても許される環境を作る」ことです。
ウソをついているか、怪しい場合、
「本当に誓って言えるの?」「○○賭けようか?」なんていうやりとりを見かけますが、
それらは正しいことではありません。
虚言癖の人にとって「ウソをつき通したほうが得だ」と思わせてはいけないのです。
むしろ、
「本当のことを話せば、今だったら全部許してあげるよ」
と取引を出してみたり、
「あなたが何したか、本当は知っているんだよ」
とある程度は知っている素振りを見せたり、
「僕も昔ウソをついて痛い目にあったんだ」
というような同類性を見せたりすることが大事です。
一言で言うならば、ウソに対して寛容でいることなんですね。
ただ、残念ながら、ウソをつくことが慣れていると、
二度三度と繰り返すことがあります。
それでも「この人とと付き合うの面倒くさい」と思わずに
根気良く向き合えるかどうかというところですね。
虚言癖の親に見られる子供への影響
誇大自己的なウソの多い相手との会話の辛い点は、
ウソと分かっていてもその話に付き合わなければいけない状況が多く、
強い精神的ストレスを伴うものである点です。
アメリカ精神医学会では
虚言癖とは「度を越して人の注意を惹こうとする行動様式」であって成人前までに始まる。
とあります。
これが親子の関係であれば大変です。
子どもの対人関係が混乱していきます。
何が事実で、何が虚構が分からなくなっていきます。
その結果、客観的な判断力の低下を招き、
自分で問題があったとき、どうしたらよいのか分からなくなってしまうのです。
まとめ
・ウソの見分け方は、相手に不利な質問をすればよい
・ウソであることに寛容であることが、本当のことを話してもらう方法である
・親子関係でウソが蔓延すると、子どもが現実に対処できる能力を失う
本当の自分と向き合うことが虚言癖を治すひとつのきっかけと言われています。
常習犯となってしまうと、周りの人たちが離れていってしまう原因となるため、
自分が知らず知らずのうちに、ウソを言っていないか気づくことが重要ですね。
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