6月17日に公職選挙法の改正が行われ、選挙権が20歳から18歳へと引き下げが決定されました。歴史の教科書にも登場する1945年に決められた公職選挙法成立以来の出来事です。
順調に行けば来年の夏に行われる参議院議員選挙から施行され、
現在の高校生(高校2・3年生と1年生の一部)が選挙に参加することになります。
これにより、学校の教育はどう変化するのでしょうか。
そもそも学校の教員は立場上政治的中立である必要がある
実際、多くの学校ではすでに「主権者教育」という名で模擬投票などの
授業が取り入れられている学校もあるそうです。
読売新聞では
従来は、文科省と日本教職員組合の対立の影響などから、学校教育で政治や時事問題に深入りするのはタブー視されてきた。
今後は、政治的中立性を確保しつつ、政党や候補者の公約や政策を正しく理解する能力を身につけさせることが求められる。特定政党の価値観の押しつけを避けるためには、担当教師の研修や手引書の作成などが欠かせない。
とあるように、従来、学校の先生は特定の政党や政治団体についてコメントを避けてきました。
そういえば僕が学生だった頃の社会の先生も、選挙の例として政党の名前は出していましたが、直接の批判はしていませんでしたね。そう考えると、教師の質の問題にかかってくるのでしょう。
では、個人塾の立場としてはどうするか
正直、学生の頃は日教組という存在も知りませんでしたが、去年の公民の授業では、
生徒にそういった対立構造は話していましたね。
できるだけ、今の政治に対しリアルな構造を知ってもらうほうが
政治に興味を持ってもらう一番の方法だと考えています。
また僕は、18歳の選挙権引き下げには賛成です。
高齢化社会が進んでいる以上、人口比から見て若い世代が選挙で不利になることは明白ですからね。
まずは政治に対する判断を養うべき
政治に対する考えで僕が最も共感できるのは、小説になりますが、
田中芳樹著「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーの一節です。
政治の腐敗とは政治家が賄賂をとることじゃない。それは政治家個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。
選挙権を持つということは、個人や政党に投票するわけですが、
個人に投票するのは、その個人の人間性なりなんなりを見て判断すればいい。
政党の善し悪しを判断するのは、その政党に属する個人が何をしたかというよりも、
個人が問題を起こしたとき、政党としてどうリアクションをとるか。
これに尽きると思うんです。
例えば、ある政党が議会で暴力行為を起こした場合、
暴力を起こした個人を批判するのではなく、
政党として、暴力そのものが容認されてはならない。
身内をかばうという意味よりも、
暗黙の了解としてやっていけないことでも平然とやってのけること、
それが非常に恐ろしいことなんです。
別に政治に限った話じゃなく、何にでも言えることなんですけどね。
サークルから企業に至るまで。
このへんを授業が伝える機会があればいいなーと密かに考えていたりします。
まとめ
・これから学校教育も選挙にもっと関心を持ってもらうような取り組みがなされるだろう
・うちの塾としては、学校で見えない構造の話もしたい
・暗黙の了解として悪事が許されてしまうような自浄作用がないことは大変危険
自分もひとりで経営している立場ですから、気をつけていないと
自浄作用を失いがちなんですよね。なにせ、僕のことを叱る相手がいませんから。
自分を叱ってくれる人がいることは、すごく恵まれているんだよ!…と
これをうちの生徒が読んでいたら言ってあげたいですね。