暴力的なゲームに「罪」は存在するのか

bouryoku

海外リリースのゲームには残虐的な表現も多いですね。

例えば
・グランド・セフト・オート(Grand Theft Auto)
・マンハント(Manhunt)
・スパイダーマン(Spiderman)

このあたりのゲームは、アメリカでも暴力的ゲームとして
反社会的な行動を賛美することとして、論議が続けられています。

また、コロコロコミックで紹介された「マインクラフト」には、
建築という創造力を刺激するギミックがある一方で、

プレイヤーや家畜を殺す表現が問題提起されたほどです。

果たして、これらのゲームには悪影響はあるのでしょうか。

そもそも、日本の歴史を振り返る

1960年~80年代は一時期、漫画に対しての悪影響が
懸念されていた頃でした。

全共闘の学生は「少年マガジン」愛読者と言われ、

赤軍派のよど号ハイジャック犯が
「我々は『あしたのジョー』である」

といったような発言があったというのもあります。

1980年~90年代からは、いわゆる「バブル経済」へ移行する中、

ジュリアナ東京で有名なディスコブームが始まりますが、

1982年に「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」で
中学生が殺傷され、ディスコの存在が問題視されます。

2002年からは「ゲーム脳」という言葉が出歩くようになります。
森昭雄が出版した著書『ゲーム脳の恐怖』という著書が
話題になったからです。

このような歴史と同じような道を
暴力的ゲームは歩んでいるのではないでしょうか。

現代の脳科学はこうしたメカニズムを解明できない

これらのことがらに共通するのは、
「新しく登場した概念」なんですね。

そもそも、漫画にしろ何にしろ、科学的にどういった影響があるのか
完全に解明されていません。

解明されていない以上、分からないものには「怖さ」を覚えますよね。
そこに、何か暴力事件があったとすると、

「暴力事件が起こったのは最近はやっている○○のせいでは?」

と考える人が出てくるのも当然のことです。

統計学的なアプローチはどうでしょうか?

例えば、
「暴力的なゲームをする人は、しない人に比べて、
 暴力事件を起こす確率が10%上昇した」 としましょう。

でも、それは
暴力事件を起こしやすい傾向のあった人が
暴力的なゲームを買う傾向がある だけかもしれません。

暴力的なゲームに悪影響があるというのなら、
十分な母数と時間・多種類のゲームをやらなければいけません。

したがって、完全には結論の出ない問題なのです。

新しい技術が出た時の答えは一つ

僕はこれらのゲームに対して、
積極的にさせようとは思っていませんが、逆に規制しようとも思いません。

このことについて教育者としてどうかと言われるかもしれません。

そうではなく、
暴力的ゲームに触れたとき、きちんと教育をすればいいことなのです。

例えば、LINEにはグループトークがありますが、
その中でだれかの悪口を言っていたとき、親としてどうしますか?

LINEを取り上げるのが最善の答えですか?
では、LINEが無かった時代には悪口を言ってなかったんですか?

違いますよね。
「見えないところで悪口を言っていたこと」に
問題があるのであって、その手段に問題があるのではありません。

暴力的なゲームも結局は子どもに諭してあげればいい
問題ではないでしょうか。

まとめ

・新しい刺激的なサブカルには怖さもつきまとう
・悪影響を完全に解明することは不可能
・子どもに教育させることが最善

残念なことですが、ゲームやSNSで問題になるとき、
学校教育が槍玉に挙げられる現実がありますね。

実際には親の躾なんですよね。
一番長い時間接しているのは、両親なんですから。

うまく付き合っていければ、ゲームもSNSも楽しめるものとして
受け入れられるのではないでしょうか。